この日記を続けていて何の意味があるのかは分からないがこうして自分の幼少期から病を得て自分なりに苦しんできたことを振り返って少しスッキリしたかもしれない。なんら読む価値のない日記だがあくまで自分の苦しみを捨てていく場所として使おうと思う。

 

病を得て2つだけ良かったことがある。1つは若気の至りとはいえどんなに自分が身の程知らずであったか、世間知らずであったかを悟ることができたことである。

 

もう1つは色々と諦めがついたことである。病とは全く別物だがたまたま検査を受けることになり、発達に障害があったことが分かった。どうやら頭で考える能力と実際に体を動かす能力にかなりの差があり、極端にできないこと、できることが分かれていたようだ。

 

確かに体育が極端に苦手で歩くのも走るのも人の何倍も遅く、いろんなスポーツができず、体力検定なんて1点だったこともある。ふざけているのでは?とかもっと真面目にできないのかと怒られたこともあったが自分は何もそんなつもりはなかった。体が動かしにくかったのだ。でも上手くそれが表現できずに理解されずに終わってしまった。幸いなことに友人らの支えで学生時代は乗り越えられた。

 

検査で判明したのち、医者からは普通の人と同じように働くのはかなり難しいと言われ環境の整ったところで働くかデイケアのようなどこかへ日中行って何かをして過ごすことを勧められた。

 

病を得てしばらくは親を恨んだ。親がすべての元凶、というわけではないが自分の人生が(少なくとも学校を出て就職して誰かと結ばれるか、親の力を借りなくても生きていけるようになるそんな人生)破綻してしまったのだから。でも何年かそう思っているうちに病を理解しなかった親も周囲の友人も徐々に病を受け入れていってくれた。次第に仕方ない、と思うようになっていった。病になったのも仕方ないこと、それで人生が破綻してしまったのも仕方ないこと、というように。諦めがつくと結構楽になる。

 

ただ、一度だけでいいから普通の人と同じような暮らしをしてみたかった。別に好きでもない仕事に行って仕事をこなしてクタクタになって家に帰ってくる。そして同僚や友人と仕事の愚痴をこぼしながら飲み食いするなりする。給料で手に入ったお金をある程度は貯めてボーナスがあればそれで何かを買う。そんな贅沢でもない普通の暮らし。自分には二度と手に入らないそんな暮らしをしてみたかった。もし死んだ後に再び別の誰かとして人生を始められるとしたらそんな暮らしをしてみたい。