自分が生きているせいで、存在しているせいでみんなが迷惑している。死ななければならない。生きていてはいけない。

ただ友達が欲しかっただけなのに生きていることそのことが迷惑だから誰も友達にはなってくれない。誰もそばにはいてくれない。

 

さよなら。さよなら。迷惑してる、死んでほしい、なんて言えなかったよね。ごめんね。すぐに死ぬからすぐに忘れてね。さよなら。さよなら。みんな幸せになってね。

ついにこの無意味な日記も⑩まで来た。この命は未だに無駄に続いている。寿命を分け与えられるなら生きたくても長く生きられない人に分け与えたい。早く自分の命が消えてしまえばいいのに。早く死んでしまえ。死ね。死ね。

 

少し前蒸発しようとした。携帯を捨てて家を出たのだ。自分が生きているせいで誰も彼もが迷惑している。誰も知らない場所まで行ってそのまま死のうとした。片手に電車賃を持って。途中まで実行していたら何だか飽きてきた。怖かったというより飽きた。恐ろしく飽きるのが早いのを忘れていた。蒸発は失敗した。

 

生きることも死ぬこともできないならどうしたらいい?

特に読む価値の無いブログを始めたのが2月だったからもう5か月が経過したらしい。誰も読んでいないと思うが前回から結構経ってしまったので更新してみる。

 

私は誰からも好かれることはない。そして何もしていなくても嫌われていく。そう、存在自体が生きていること自体が罪であるから特に理由がなくても人がどんどん離れていく。

 

早く死ねば色んな人のためになるのに死ぬのを躊躇ってしまっている。私は死ななければならない。死ななければ。

 

そういえば昔から分かっていたことだがどうやら「みんな」の範囲に私は絶対に入らない、入ることすらできないらしい。私が嫌いなら、死んでほしいならそう言ってくれればいいのに、なぜ期待を持たせるような言葉を使うのだろうか。

 

もし万が一このブログを読んでいる人がいるのであれば「お前が嫌いだ、死んでほしい」と是非コメントしていってほしい。

先月からずっと体がだるい。でも時折少しだるいぐらいでそこそこ動ける日もあるから困る。体調が悪いはずなのにゲームしてると思われたくないがよくよく考えたら特に何もしていなくても人から嫌われるのだから何をしても関係ないだろう。

 

自分に徳が無くて人望が無くて人が集まらない、数少ない人も離れていってしまう。出会いと別れを繰り返していくのが人生とどこかで聞いたことがあるが正直言って出会いよりも別れの方が辛い。人付き合いが健康な人並みにできない。見た目は健康そのものだからやる気がないと思われてしまう。そして健康な人と同じぐらい経済的に余裕があればもっと付き合いができただろう。別に大金ではない。でもそんな金すら無い。金のあまりかからない付き合いをしようとしても遠慮されてしまう。低収入でもいいから働けたらいいのに。金が無いと人とも付き合えない。だから付き合いの悪い人としてどんどん人が離れていく。

 

人がどんどん離れていく、どこにも行けない、贅沢どころか食事をするだけの金も無い。そんな毎日を送れば送るほど辛さが増していく。実家に暮らしているのだから生きてはいけるし贅沢だと言われるだろう。多分そうだ。でもこの辛さは甘えなのだろうか。早くこの人生を終わらせてしまいたい。

もうおにぎりすら気軽に買えなくなってしまった。もうおしまいだ。もうおしまいだ。もうおしまいだ。もうおしまいだ。もうおしまいだ。もうおしまいだ。もうおしまいだ。もうおしまいだ。もうおしまいだ。もうおしまいだ。もうおしまいだ。もうおしまいだ。もうおしまいだ。もうおしまいだ。もうおしまいだ。もうおしまいだ。もうおしまいだ。もうおしまいだ。

他人に期待してはいけない。自分が病を得てから学んだことだ。

 

できなくなったこと、難しくなったことが増えていく中でどうしても他人に頼らなくてはいけない、他人に頼ったほうが楽になることが増えていった。でも他人に頼る=悪、出来損ないだと小さい時から教えられてきた自分にはどう頼ったらいいか分からなかった。これをしてほしいと頼む。それは難しいと言われたり、時間がかかるけどできると言われるぐらいなら全然問題ない。分かったと言われてそのまま放置される。そのことについて聞くと今やっていると言われ、この人は面倒な人だというレッテルを貼られる。居場所がどんどん無くなっていく。他人に期待してはいけない。心は冷めていく。それとも自分が頼り過ぎているのか?誰も教えてくれない。もう一秒たりとも長く生きていたくない。そう思うのは逃げなのか。

この日記を続けていて何の意味があるのかは分からないがこうして自分の幼少期から病を得て自分なりに苦しんできたことを振り返って少しスッキリしたかもしれない。なんら読む価値のない日記だがあくまで自分の苦しみを捨てていく場所として使おうと思う。

 

病を得て2つだけ良かったことがある。1つは若気の至りとはいえどんなに自分が身の程知らずであったか、世間知らずであったかを悟ることができたことである。

 

もう1つは色々と諦めがついたことである。病とは全く別物だがたまたま検査を受けることになり、発達に障害があったことが分かった。どうやら頭で考える能力と実際に体を動かす能力にかなりの差があり、極端にできないこと、できることが分かれていたようだ。

 

確かに体育が極端に苦手で歩くのも走るのも人の何倍も遅く、いろんなスポーツができず、体力検定なんて1点だったこともある。ふざけているのでは?とかもっと真面目にできないのかと怒られたこともあったが自分は何もそんなつもりはなかった。体が動かしにくかったのだ。でも上手くそれが表現できずに理解されずに終わってしまった。幸いなことに友人らの支えで学生時代は乗り越えられた。

 

検査で判明したのち、医者からは普通の人と同じように働くのはかなり難しいと言われ環境の整ったところで働くかデイケアのようなどこかへ日中行って何かをして過ごすことを勧められた。

 

病を得てしばらくは親を恨んだ。親がすべての元凶、というわけではないが自分の人生が(少なくとも学校を出て就職して誰かと結ばれるか、親の力を借りなくても生きていけるようになるそんな人生)破綻してしまったのだから。でも何年かそう思っているうちに病を理解しなかった親も周囲の友人も徐々に病を受け入れていってくれた。次第に仕方ない、と思うようになっていった。病になったのも仕方ないこと、それで人生が破綻してしまったのも仕方ないこと、というように。諦めがつくと結構楽になる。

 

ただ、一度だけでいいから普通の人と同じような暮らしをしてみたかった。別に好きでもない仕事に行って仕事をこなしてクタクタになって家に帰ってくる。そして同僚や友人と仕事の愚痴をこぼしながら飲み食いするなりする。給料で手に入ったお金をある程度は貯めてボーナスがあればそれで何かを買う。そんな贅沢でもない普通の暮らし。自分には二度と手に入らないそんな暮らしをしてみたかった。もし死んだ後に再び別の誰かとして人生を始められるとしたらそんな暮らしをしてみたい。